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宇宙 心 体 人 いろいろなものを[Connect]≒[つなげる]。

自分を捨ててまで不特定多数に好かれるよりも、自分を受け入れてくれる一人を愛したい

俺は真面目だ!

僕は「真面目だね。」と言われることが多い。それは生まれた環境が関わっているためなのか。それとももともとなのかだとは思っている。それが僕にとっては「コンプレックス」になっていた。

 

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不真面目になりたかった

 

「真面目」のイメージは「固い」「冷静」「緊張」などどちらかといえば「人を寄せ付けない」とういう感じを持つ。

それとは反対にある「不真面目さ」には「華やかなさ」があると思う。この言葉が適切かはわからないが、そのような人は「人を笑わすことが得意」や「その場の雰囲気を柔らかく明るくする」そんな魅力があると思う。「不真面目」には、いい意味での「抜け感」があってそれも合わさって人が近づきやすいように思える。

 

真面目な僕にとっては「華やかさ」がうらやましかった。

 

 

クラスの人気者、女性にもてる人、リーダーに向いている人などは当然のように「人を引き付ける魅力」があった。

僕はと言うと、幼少期はろくに友達ができなかったり、クラスでも目立たない存在、女性にも特別にモテることもなかった、壇上に立って会場を沸かせることは苦手、いわゆる人を笑わせるユーモラスセンスは低いなど、自分でいうのも変なことだけども「そういった華やかさ」はあまり持ち合わせてないと思っている。だからこそ、「華やかさ」に憧れて、それになろうとしていた。

 

自分を捨ててまで多くの人に好かれたいと思わない

 

自分で言うと馬鹿だなと思うが、このblogからもユーモラスは感じれないだろう。硬い文章に見えていると思っている。

もし、本当にこのblogを不特定多数の読者に見て貰いたいと願うならもっと砕けた文書であったり、ユーモラスに富んだ文章がイイはずだ。それはもちろん発信するからには読み手のことを意識するべきであって、一般的なテクニックもそう言っていたり、人気があるblogの多くはそう見受けられる。

だけれども、それをそのまま真似てしまうと全てが一緒になって、「自分らしさ」がなくなってしまう。

「自分らしさ」なんて読まれてから考えろという厳しい意見もある。そういう方には生意気かもしれないが、僕は「自分らしさ」がないものを発信したくない。不特定多数の読者よりも「一人の読者」に届けたいと本気で思う。

 

どちらもあっていい

 

先ほど「真面目」と「不真面目」という表現を使ったが、世の中にはそういうふうにどちらも存在して成り立っていると思う。付け加えておくとその中間もあるはずだ。「どちらともいえない」というものがそれである。さらに僕的には「真面目」が多い「不真面目な人」とういうように「割合」によってわけるならその多様性は無限にあると思っている。

 

大事なことはそれは「個性」と捉えるべきであって、そこに「どれがいい」ではなく、「どれもあってイイ」になるのではないかと思う。

また、「真面目」があるから「不真面目」がはじめて存在できるようにそれぞれに「役割」が存在している。その「役割」は必ず必要とされる人や場所が存在している。

それを無視するかのように勝手に自分は「真面目」だから「ダメなんだ。」と否定せずに、存在できる場所を探したり、共存できる人を見つければいい。

 

例えば、僕なら「ONE PIECE - Wikipediaのルフィー」のようなパートナーこそがベストだと考えている。僕がそれになるのではなく、それを補ってくれるパートナーが現れると信じている。(積極的に我こそはルフィーだとういう人を募集中。)

 

自然の流れのままに生きたい

 

地球の約70億人が全部「真面目」だったら息が詰まりそうだし、「不真面目」だったらゆるみ過ぎて無法地帯になりそうなイメージが持てる。

つまりは、どちらに偏っても「アンバランス」になる。それにならないように自然界では2:6:2の法則パレートの法則 - Wikipediaが存在しているように、うまいこと「バランス」をとれるような仕組みが存在している。

 

そう、自然な流れに背くように「自分の役割」から無理やり「別の何かに」なるのではなく、「自分の役割」を磨いていくことをしていきたい。

僕は僕らしく生きていきたいと思うから、全ての人がお互いを認め合えたときに「本当の平和」ができると思う。

 

もし、一人で悩んでいたり、自分らしく生きたいと思っている方はメッセージを頂きたい。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。