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Connect Blog

宇宙 心 体 人 いろいろなものを[Connect]≒[つなげる]。

「レンタル」を辞める。「友達計画」をはじめます。

僕は対等でいたい。だから、「友達」とういう言葉であったり、付き合い方が好きだ。

 

「自分自身」を「レンタル」することに対する違和感

 

今、自分をレンタル商品として売り出すことが流行っているように思う。例えば「レンタルおっさん」を調べてもらえると一目瞭然でもの凄い人数のおっさんがレンタル商品として登録されている。

世の中にそんなにおっさんの需要がもしもあるならそれはちょっとおもしろい。でも、私は男性であるから、おっさんよりもちろん若い女性がイイ。(笑)

 

この「レンタル」とういう言葉のイメージとしてあるのが、安い値段で自分自身を商品として提供している感じがする。

実際の多くの方が「50円」で売り出している。多分、「50円」という表示は先に売り出した人がいてそれが「多くの人にレンタルされた」とういう結果があるから、「50円」とういう値段設定にしているのではないかと思ってしまう。

この「とりあえず付けたような値段」も違和感しかなく、ましてや自分自身が「50円」とういう価値しかないのかとういう疑問符がつく。

それに、誰もが根底に「お金に対する欲」があるはずだ。資本主義のうえに生きているから、それを「宣言」するのがカッコイイよくて、隠すことに違和感を感じる。だから、「本当に欲しい金額を堂々と宣言」するように価値を決めるべきだと思う。それが「今」の自分自身の「値段」になると思う。

 

根本は「レンタル」とういう言葉に違和感を感じるから、「レンタル」ではなく「僕はあなたのために無償で愛を提供します。」とういう表現が潔くてカッコイイ。

「とりあえず」や「自分の価値を安く見積もる」ことをするくらいならいっそう「無償」で自分を提供することがカッコよく思える。

それに、「レンタル」とういう言葉は借主と商品とういう立ち位置になる。そうするとどうしても、「同じ目線」に立つのが難しくなる。

商品を「レンタル」した借主が上の立場とも言えるし、商品があるから借主が存在できるとも言えるから「同じ目線」になりにくいと思う。その「どちらかが上で、どちらかが下」になるような立ち位置が嫌いだ。

 

恐れずに言うのなら100歳の人であろうと「ただ長く生きている」とういう事実があるだけで、「同じ人間」であることには変わらない。だから変に遜ったり、上を見上げるような目線で見る必要もないと思う。

ただ、「生きる」ことは大変なことでもあるから、そこまで「生きた」ことに対する尊敬が自然と出てくるだけである。

 

自分自身の「役割」を価値として提供する

 

「レンタル」の趣旨も広く万人受けするため「価値を限定しない」で「なんでも」とういうスタイルにして「売り出す」と「なんでもするの?」「嫌なことでもするの?」「できないことでも受けるの?」などの質問が寄せられる。

こちらにも人権があるから「できないことはできない。」「したくないことはしたくない。」と答えてしまう。

そうであるなら最初からそれを明記するべきであった。そうなると、「なんでも」では当然なくなってしまう。それに、誰もが「得意なこと」や「好きなこと」があるはずだ。それが自分の「役割」というものになると思う。

その自分自身の「役割」を自信を持って「価値」として提供していくべきだと思う。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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