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便利を求めると気持ちが「雑」になる。

田舎に住んで居ると「面倒なこと」が見られる。わかりやすくいうと近所付き合いだ。

朝早くから玄関を開けて「おい、今朝採れたキャベツ持ってきたぞ。食え。」なんてこともある。

それ以外も消防団に参加したりと小さなコミニュティに属すとういうことが求められることもある。それが、田舎に移住した人が煩わしく感じてしまうとこでもある。

でも、僕はそういう面倒な付き合いが好きで、大事にしていきたいと思う。

 

便利を求めると気持ちが「雑」になる。

 

現代は、SNSが主流となってコミニュケーションがデジタル化されている。日本や世界中の人と距離、時間を超えてコミニュケーションがとれることは便利である。

でも、その便利さが習慣化されてそれ自体が当たり前になり、今までの不便さがに懐かしさを覚えてしまうことがある。そして、便利さを追求することは行動や行為が「雑になっている」と感じてしまうことがある。

 

自分以外は理解できない

 

まず考えないといけないのが、「相手のことは理解できない」とういうことだ。ちょっと乱暴な意見かもしれないが、「相手のことがわかっている」と思うことは、「自分の経験による判断」だと思う。

はじめて会う人の趣味、趣向を完璧に当てられる人はいないはずだ。もし、そのときにいくつか当たったとしても、それは、人相や服装などを見て「経験に基づいた予測」から答えを導きだしていると思う。

結局は、「自分とういうフィルターを通して答えを述べている」ことになるから、それは「相手」の本当の気持ちを言ったことではないと思う。

 

煩わしさが「丁寧」になる

 

日常会話のなかでも、「経験に基づいた予測」でコミニュケーションをとっていることがある。

それに気づいたのは、「煩わしく感じさせるくらいに丁寧なコミニュケーションをとる人」との出会いによって気づいた。

その人は「僕はこういうふうに感じたけど、あなたはどう思いましたか。」のように、必ずといって、「相手の意識を確認する」ようなコミニュケーションをとっている。

最初は正直に言えば「面倒くさい」と思った。しかし、自分がしていたコミニュケーションを振り返ると「相手はこう思っているだろう。」潜在的に判断して会話していることに心当たりがあった。

それは、効率を求めるから、できるだけ「煩わしい」工程を省こうとしているからだ。

しかし、「相手のことは理解できない。」はずなのだから、その「煩わしい」ことを省くことは「相手のことを理解する」ことを諦めてしまっていることになる。だから、後で「あの時はこういったつもりだったのに。」などすれ違いが生じてしまうことが起きてしまう。

 

煩わしさは「感謝」を表す行為

 

「煩わしさ」とは「相手」のこと大切にしたいという思いなのかもしれない。

田舎では当たり前のように近所付き合いがあるのも、「わざわざ足を運ぶ」、「声をかけ合う」とういう行動がある。

もちろん、それ自体はなくても生きていくことは可能であるが、それをするとういうことは、自分以外のことに対して「感謝」の行動なのかもしれない。

なぜなら、「わざわざ」「かけ合う」とういう言葉は悪い意味でとらえてしまいそうだが、そうではない。その言葉のように「あえてする行為」は時間と手間が必要になるからこそ、自分の気持ちが相手に伝わると思う。言ってしまえば「あなたのために」になると思う。つまりは、言葉の意味をどうとらえるかが大事で「ありがとう」と思いながらおこなうと決して、押しつけだったり、嫌みがある行為ではなくなる。

 

そう、僕はこれからも必要な人のところに直接会ってコミニュケーションとっていきたいと思う。それが、僕が表現したい「感謝」になる。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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