唯一無二の存在こそが最大の価値になる
僕はフリー素材として活用してもらっている。僕自身が「商品」となって「活用」してもらっている。
これ自体なにも新しい試みでもなく先駆者はいる。レンタルおっさんや50円でなんでもやりますがそれだ。
僕は、自分をフリー素材として活用してもらう際に「ドネーション制」にしている。
価値をお金なら「1円~」で、お金以外でも、言葉や握手でもよくて、ご飯や物でも家でも、その人が僕に「価値」を付けてもらう仕組みにしている。そこには、僕の「思い」がある。
お金が全てだとういう間違った思い込みをしていた
僕は病院を辞めてフリーとして整体師をやることにした。それまで、サラリーマンとしてしか働いたことがなくて、ろくに社会も知らずに「なんとかなるだろう」と甘い気持ちで始めた。その結果は火を見るよりも明らかで「失敗」に終わった。
そのときの経験として、「こうしなきゃいけない。」とガチガチの固定概念に縛られて、「まずはお金、お金、お金を稼がなきゃ死んでしまう。」と思い込んで必死になっていた。それは、結果として目の前のことを疎かにしてしまったことになり、一番大事な「ご来院される人」のことが見えなくなっていた。
それくらい、僕は「お金」に縛られていた。「お金が稼げないやつはクズだ。」というくらいの思い込みがあった。
本当の幸せを考える
でも、本当にその思い込みは正しいのだろうか。稼げない人だっている。もしかすると稼ぐことが苦手な人もいる。それに訳合って稼げない人もいる。
それでも、みんなそれぞれに生きている。それを見たり聞いたりして体感出来てきたときに、自分の思い込みこそ「クズで浅はかでしかない」と思った。
結局、僕は経済活動できる、できないで人を判断していた最低な嫌な奴だった。お金でしか人の価値をみてなかった。
世の中にはそれに頼らずとも思い通りに生活している人やそれ以外に幸せを見つけ出して生活しているなど様々な人が存在している。
だから、「生活のためにしかたなく仕事してお金稼いでます。」とういう僕の考えに違和感を覚えるようになって、その価値観を壊したくなった。
そこで出たのが「お金を稼ぐことを主にしない生き方」だった。しかし、断っておくが「お金は大好き」であるから「お金を得る」ことを放棄したわけでない。100円、1万円、100万円、1億円くれるなら全部喜んで貰います。ただ、「とりあえずなにかして稼ぐ」とういう概念を壊したいとうことである。
お金は道具でしかない
お金は道具であって、それを使って「なに」をするのかが大事だ。お金だけを稼ぐは目的にならない。
それと一人だったらお金を稼ぐ意味があまりない。一人なら自由気ままにできるから、収入だって極端な話なくても生きていける。
だけども、家族や仲間がいるとその人の「ため」が生まれる。もしも、自分が愛する人が食うにも困る生活をしていたら悲しくならないだろうか。愛する人を守りたいと思うのが自然だ。だから、愛する人を守るためにお金を得るが目的になる。
お金の固定概念をぶち壊してその先の奇跡をみたい
僕はお金とういう概念をぶち壊したい。お金で縛られていたからだけではないが、それも失敗の一つになった。お金は道具であって、どうやったら手に入るかを考える必要がある。
お金は作るのも、運ぶのも、持ってくるのも全て人を返しておこなわれる。つまり、見るべきは「お金」ではなくて、「人」だ。
つまりは、「人」を大事にするとお金とういう道具は循環しやすくなると思う。大事にするとは、「あなたなら大丈夫」と思ってもらえることだ。それを言い換えるなら「信頼して貰える」とういうことだ。
つまり、お金の正体は「信頼」だ。
打算がなくなると感動が生まれて奇跡が起きる
その信頼を得るためには「打算がない」付き合いが必要だと思う。「これをやったからなにか貰えるだろう。」や「これを提供するから代わりにこれだけください。」などとういう「なにかしたから、その代わりになにかを得る。」という一見すると当たり前のようなことだけども、それは先に「等価交換」があって価値を決めてしまっている。だから、その価値以上のものは提供されないし、起きない。
僕はそれを超えた先の奇跡をみてみたい。「打算がない」付き合いは「感動」を生むと思っている。それは、僕は「その人のためなら」とういう感覚になるからだ。そのときは無上の愛を相手にささげることができている。それが偽善と言われようが「やらない偽善よりやる偽善」だと思っている。僕は無上の愛を捧げることができたらそこに「感動」が生まれて同時に奇跡が起きると信じている。
僕は唯一無二の存在になりたい
さっきから言っている「打算がない」とういうことは「なにかしたから」とういう価値を生み出してそれを提供することではないはずだ。
なぜなら、価値とは本来はもともとあるものだから。その人しかない「唯一無二」のものこそ価値があるはずだ。
だから、そこには「なにかしなきゃいけない」なんてものは存在しないはず。「自分が自分らしくいるだけで価値が存在」するからこそ、自分を知って、認めてあげることが大切だ。そうやって、「唯一無二の存在」になりたい。
そのために、僕はフリー素材で活用される条件は特に設けていなくて「できる」ことで活用してもらっている。つまりは、僕でしかできないことであり、それこそ「唯一無二」である。僕は「唯一無二」になりたいからこの活動をしていきます。
フリー素材として活用して貰いたい
現在、僕はフリー素材として活用してもらっています。blogを読んでなんとなくでも、おもしろいと思ったらフリートミーを活用してください。めっちゃ喜んで行きますよ!
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