大丈夫ではないから「大丈夫」と言ってしまう
本当に「大丈夫」なら「大丈夫」と言わない。本当は「大丈夫ではない人」が「勇気」をもつことは「助けて欲しい」と声をあげることだ。
大丈夫ではないから「大丈夫」と言ってしまう
「大丈夫」だったり、「このままでいい」とか言っちゃてる人は本当は「大丈夫ではない。」そう在りたいと願うから「大丈夫」とつぶやいてしまうと思う。つまりは、「今、私は大丈夫じゃない」と宣言しているようなもの。そうなら、「大丈夫ってなんですか?」と尋ねるほうがいい。
そして、早いとこそこに意識をむけるのではなく、美味しいものを食べたり、遊びに行ったり、友達にあったりすることがいい。
なぜなら、「本当に大丈夫な人」は「大丈夫」と言ったりせずに、「自分がしたい」ことをし続けているからである。
「大丈夫教」を早く抜け出せ
巷に「大丈夫教」のような宗教があるように流行っている感じをうける。そこに違和感を感じる。時々、それを見たり読んだりするすると「気持ち悪いわ。」と言ってしまいます。その言っている自分も昔は同じことを言っていたから、「俺も気持ち悪っ」てツッコミます。それに「大丈夫」といっている人に問いたいことは「なにをもって大丈夫」といっているのかということである。
その「大丈夫」と思い込ませたいものは、おそらく多くの人は「お金」と「人間関係」ではないかと思われる。それも「我がまま」にできることをみんな望んでいるのはないかと思う。そうであるなら、そのように、どちらも自分が大丈夫と思えるまでさっさっと行動したらいい。
ちなみに我がままとは読んで字のごとく「私のまま」である。
結果は失敗だったが、そこで得られた経験があるから「大丈夫」になる。
僕は2つ目の病院で働いたときに、「自分の意見」を押し通そうと息巻いて行動した。この時も猪突猛進のように「一人」で勝手に進めようとした。誰の意見も聞かないで「自分の意見だけ」をストレートに表現した。
その結果は、「玉砕」であった。結果だけを見てしまうと「失敗」になってしまう。だけども、僕はここでその「経験」を得ることができた。
そこで得られたのは「自分の意見」を言うためには、相手のことも知らないといけない。どういうタイプなのか。どのタイミングがいいのか。どういう伝え方がいいのか。誰か味方はいなかったのか。などとその経験をもとに「シュミレーション」ができるようになった。そして、「免疫」がついたから、もしも次に同じような場面に遭遇しても対処ができるわけだ。
お金についても、水道代金が払えなくなるまで追い込まれたり、人にお金を貰えたりとその「経験」があるから「シュミレーション」が可能になったり、変な話だが「なくてもなんとかなる」とういう感覚も備わった。
自分らしく生きるブームなのか「我がまま」に生きると「人生が好転」します的なものを見たりする。ちょっと乱雑に書いたが、それはそうであるが、それも本を読んだり、セミナーを受講したから「すぐ」にできるものではない。
気づいた年齢のぶんだけ生きた価値観があるので、そこから別の価値観に「アップデート」するのだから「ある程度」は時間がかかるのは当然である。
だから、小さな経験を積み上げていくと、その「結果」に「我がまま」に生きられていくのだと思う。
「勇気」を出すのは仲間をつくるために「声」をだすこと。
「本当は大丈夫ではない人」は「大丈夫」とウソを言うのに「勇気」を使うのではなく、正直に「大丈夫じゃないんだよ。」とういうことを言ったり、自分が想像する大丈夫になるための行動に「勇気」をだしたのがいい。その「勇気」も一人だと「不安」になる。だからこそ、早いとこ。「大丈夫じゃないから助けて欲しい」と「他人」に声を届けるようにして「仲間」を作って欲しい。きっと、あなたを「必要」としている人はいるからそこに「勇気」を持って声をあげていこう。
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