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自分のポンコツネタは、笑いと共感の種になる

電車を待っているときにおばちゃんたちの威勢のいい笑い声が聞こえてきた。その内容はたわいのない内容であって、「体が思うようにならなくなった。」とか「家庭の愚痴」などだ。そんな日常にありふれた会話になにげに「ふと思う」ことがあった。

 

 

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自慢大会

 

年を取るとできないことが自慢になる。「足が思い通りにならでしょ。バスが待ってくれたらいいのにね。」「そうそう、わかる。」とか「膝が痛くなってきて」「私も」とか「腰が曲がって腰痛で動けなくてね」「みんなそうよね。」みたいに「できない」ことで話が盛り上がり何時間もしゃべっている風景をみたりする。体力的な衰えがあるから致し方ない部分もある。

そうやって、「できない」ことに逆らうことができなくなってはじめて「諦める」ことができるのではないかなと思った。

それが「自慢」になり、話のネタになり笑い話となる。そこで、気づくとこはできない」ことは「笑い話」になるとういうことと「共感性」を生むとういうことだ。

 

 

「できないこと」に無駄な時間を使うな

 

10代~40代のバリバリ活動できる頃だと、「できないこと」は恥ずかしかったりするからなかなか人に言えなかったりする。そして、「自分一人」でなんとかして「できないこと」を「できる」ように努力する。

その努力も「好き」なことならやっている本人にしてみたら「努力」ではないと思う。なぜなら、「好き」だから「自分で考えて、自分で行動」しているから「努力」という認識がないと思う。だから、「好き」でもないことに「努力」してしまうとそれはただ「こなしている」や「やらされている」とういうようになってしまうと思う。

「できないこと」に時間をついやすことほど「無駄」なことはない。その「無駄な時間」を自分の「好きな時間」に使うことがいい。そのためには、はやいところ「できない」ことを諦めて、さっさっと「できる他人」に任せるがいい。

 

全てはtry&challenge

 

「できないこと」を言えないのは、「できること」と「できないこと」がわからないこともあると思う。こういったケースの場合は最初に「チャレンジ」していないからではないかと思う。

「できる」かどうかわからないことも、行動してはじめてわかることが多いはずだ。その経験で「これならできる」「ここはできない」などが体感として明確になってくる。それがあるから「できる」ことがわかって、それだけをするようになるのだと思う。

また、そうやって経験してわかった「できない」ことも「どうやったら最小限のリスクでクリアできるか」がわかるようになる。

「他人」に任せるでも「どの人が適任か」だったり、いろいろな選択があるなかから「ベストな選択」ができるようになると思う。そうすることで、どんどんと「できない」ことも簡単にできたり、またはすぐに諦めて次の行動に移せるようになる。

 

「できないこと」を人に言うのは「勇気」がいることかもしれない。「こんなことを聞いて大丈夫だろうか。」「これを任して大丈夫だろうか。」と不安がでてきたりする。それも、「やってみないとわからない」ことだ。そこを「勇気」を出して「やってみる」ことで「経験」が詰まれていく。そうやって、まず「やる勇気」を持って欲しいと思う。

 

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