Connect Blog

宇宙 心 体 人 いろいろなものを[Connect]≒[つなげる]。

「未完成」こそエンターテインメントなんだ。

「未完成」だから「なに」ができるか考えることができる。「未完成」だから「手をかけることができる。

「完成」されていたら「なに」も「できる」ことがない。「完成」されていたら「入り込む余地」がない。

そう、「未完成」だからこそ「できる」ことも「助けられる」ことも「一緒にできる」こともある。「未完成」であることは「おもしろい」ことに気づかない。そればかりか、なぜか人ははじめから「完璧」を求めたがる。

 

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「未完成」を楽しめ

 

もしも、自分の能力がなにもかもある状態がわかっていたり、なにをしても完璧とわかっていたなら日々「楽しい」ことになるのだろうか。

多くの人は新しいチャレンジをするときに足が竦んでしまう。失敗が怖いからなかなか最初の一歩が出せない。自分には「能力がない」「準備が足りない」と「完璧」になってスタートを切ろうとする。

結局はいつもの日常に戻って「過去」を悔んだりすることが多いと思う。新しいことをはじめるときは「未完成」だから、「完成」に向けて「準備」からスタートするものであり、そして、その全てがそれ通りにいくとも限らない。だけども、そのうまくいかないことでさえ「楽しめるか」が重要であって、そうでないならさっさっと辞めてしまえばいいと思っている。

 

「壁」こそエンターテインメント

 

「人生の壁」と表現されるように日常生活を送っていてもそれは突然現れたりする。その壁を直視したときにどの選択を選ぶかで簡単にクリアできたり、時間が係ったりする。

その選択はただ「壊す」「飛び越える」などの自力だけではなく、「一緒におこなう」「手伝ってもらう」の他力や、「避ける」「横を通る」「任せる」などのどちらにも当てはまる様な選択がある。また、その「壁」も意外と簡単なことよりちょっと難易度が高いほど「達成感」があるのは誰しもが心当たりがあるのではないかと思う。

解けなかった問題が解けたとき、ちょっと背伸びをした恋が叶ったとき、誰も諦めていた事業に成功したとき、こんなときに「感動」が生まれて達成とともに充実感が心の奥底から湧いてくる。

だからこそ「壁」を「どうやってクリアするか。」と考えるときは案外「楽しさ」しかなかったりする。

 

勇気は「楽しい」とういう気持ち 

 

新しいことにチャレンジしている人を見ては「羨んだり」「尊敬したり」「嫉妬したり」するのだと思う。そして、「あの人だからできた」とういうセリフを言うのだと思う。

その「あの人」も最初から全てが完璧だったり、ゴールがわかっているからスタートを切れたのではない。「その人」も「未完成」だからこそ「準備」からはじめていろいろな「壁」に直面しながらも目指すゴールに進んでいるだけだ。

つまりは、誰もが同じ条件でスタートをきる。そのスタートをきる「勇気」があるか、ないかだけだ。「勇気」は「怖さ」「不安」を克服するものと表現したるするけれども、「楽しい」と思う気持ちこそが「勇気」になるのではないかと思う。

 

日常の全てがチャレンジだ

 

チャレンジと書くとなにか特別なことを連想しがちになるがそうではなく、日々が「チャレンジ」だと思う。「今日はなにをしようか」とそれを考えることから「チャレンジ」がスタートする。つまりは、日常の行動全てが「チャレンジ」であり、それをいかに楽しむことができるか。

それを考えると「未完成」であることが「楽しむ」ための条件になる。「未完成」だからこそ「完成」≒「達成」を目指していろいろな「選択」を考え実行する。

何度も書いてしまうが、それは日常の一遍全てが「チャレンジ」だ。「お腹空いたから、ご飯はなにを食べたいかな」と思ったときは、「食べたいもの」を連想して冷蔵庫を見たり、買い物に行ったり、お店に行ったりするはずだ。このような「何気ない行動」も「チャレンジ」だと思う。

それを「楽しむ」ことができるかどうかは、そこに意識をいかに向けることができるかどうかだけ。だからこそ、日々の「何気ないこと」を当たり前だと思わずに「意識」しながら行動していきたいと思う。

 

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