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一番強いの『最弱』だ!

弱さが進化を生む

弱さを見せることは当然のように恐怖がつきまとう。自然界でも弱いものは強いものに負けてしまう。しかし、弱いものはそのままやられ続けると絶滅してしまうから、「進化」することで種を残してきた。

そして人こそ「最弱生物が進化した個体」なることを聞いたことがある。

海のなかに誕生してから、ある生物は外敵から身を守るために「甲羅」など外を固めたのに対して、人間の祖にあたる魚は内に「骨」を作った。そこから、住処を求めて陸にあがり、さらに森へと移していった。そこで、森から追われたものが二足歩行をはじめ現在のヒトへとなった。

ざっくりであるけれども、こんな話を聞いたことがある。まさに「負けの連鎖」が「進化を促した結果」になる。

 

今の教育のスローガンは「ちゃんと」「こうあるべきだ」「きちんと」

 

今、巷では「自分生きブーム」があると感じている。「自分とはなにか?」「自分らしく生きるとは?」みたいな言葉を見たり、そのような悩みを持った人が多いように思われる。

恐れを持たずに言うなら今までの「教育の在り方」に疑問をもつ人が増えて限界点に達しているのではないかと思う。

今までの「教育」は集団行動が美徳され、大人が子供に制限を植え付けることで「立派な大人」に育てることが教育だったように思える。立派な大人とは、「学校の成績≒テストの点数のみ100点」がとれて、「みんなと同じような価値観を持つ」のような子が成長して大人になることだと思う。

その教育のなかにあるスローガンは「ちゃんと」「こうあるべき」「きちんと」だ。だから、日本人はどの民族よりも時間厳守、自分のことよりも相手のことを優先させるようになったとさえ思う。

その全てを否定しているわけではなく、もちろん「個性」としてそれが「好き」でおこなっているならそれは素晴らしいことである。だけれども、みんながそれが「好き」でやっているわけでもなく、どこか無意識的に「決まり事」としておこなっていると思う。

 

「型」にはまった瞬間に「進化」が止まる

 

「個性」を発揮することが制限されてしまうと当然のように「得意」「不得意」はわからなくなる。

「得意」なことを能力として発揮できる社会ならすごく生きやすいとういうことは想像しやすいと思う。そして、「不得意」なことは誰かに補ってもらえばいい。

だけれども、今の社会では「得意」なことも「不得意」なことも発揮しづらく、「みんなが平等」と同じであることが当たり前にされてしまっている。

つまりは、同じ「型」にはまってしまっている。「型」にはまることは「進化」を止めてしまうことになるとう思う。

「弱い」から環境に適応して種を残すために「進化」してきた過程があるのにそれをやめてしまうことをしているように思える。「強さ」も「弱さ」も認めてしまえばいい。それを認めるから次に進める。

 

「進化」したいなら「危険」を選べ

 

「個性」を認めてそれを活かそうとしたときに次に「アイデア」が生まれると思う。そこではじめて「思考」が必要になると思う。

先に「思考」を使ってしまうとそれは「制限」につながることもある。自分のなかで育てられた「エゴ」が「安全」を選択しようとするからである。誰しも「安全」なとこからわざわざ命の危険にさらされることを選ばないと思う。そのために「エゴ」は危険から身を守るようにしているのかもしれない。いわゆる安全装置とも考えられる。

だけれども、進化の傍には自然界に存在している「弱肉強食」があるように常に命の危険があった。だから、危ないと思うような選択の先に「進化」があるかのかもしれない。僕は「進化」を選択したいから、あえて「危ないかもしれない選択」をしてみたいと思う。

 

最後に右脳の世界の話を知って欲しい。

 


My stroke of insight | Jill Bolte Taylor

 

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