誰もあなたからの恩なんか期待していない。だから、ちゃんと受け取ったら笑ってればいい。
受け取ることがとても苦手だった。
僕も未だに人のことを気になってしまう癖がでるときがある。それが一番出てしまうのが「人からしてもらえた有り難い厚意」の時だ。
相手のことを気にしているあまりに、「ちゃんとしなきゃ」「お礼はどうしたらいいだろうか」かと思うほどに感謝が中途半端になったり、後で後悔してしまうときもある。
だけども、気にしているのは本人だけであって、厚意を与えた側はなにも思っていないことが多い。それは、逆の立場になったとき、つまりは与える側に自分がなったときに見返りを求めていないことに気づくからだ。
困った人がいるとき、楽しいって思えるとき、恩返しをしたいと思ったときに、「これをしたから後できっとイイことがあるはず。」などと思わないはずだ。
それが受け取る側になったときにどうしても「悪いことをした」「気を使わせた」などと心が動揺してしまうことがある。
受け取ることにプレッシャーを感じた過去の出来事
僕が独立してうまくいっていないときに優しくしてくれた先輩がいた。
あるときに「商売繁盛のために願掛けに行こう」と隣県の神社に誘ってくれた。
その先輩は、当然のように運転もして、交通費から飲食費まで全部負担した。おそらくだが有り難いことに僕一人に5万円くらいは使って頂いたと思う。
だが、僕はそれにプレッシャーを感じた。「なにもしていないのに奢ってもらって大丈夫か?」「あとでなにか言われないか。」などと変な心配事で頭がいっぱいになった僕はすぐに知人に相談した。
「先輩だけど5万円くらいはおごって貰ったんだけどやっぱりなにかお礼しないといけないよね?」
知人は
「はっ?お前バカか。そんなことしてその先輩が喜ぶと思ってるの?それにお前にお礼ができないことも知ってるだろうし、そんなこと微塵も思ってねーよ。」
当然の意見を言われたのだが、当時は「なにかしないと悪い」という感情に押しつぶされそうになっていた。振り返ると本当にバカだったと思う。
受け取りを拒否すると与える側の望みは叶わないことを知ろう
「自分がして貰えて嬉しいこと」を受け取る側が拒否してしまうと、与える側の厚意を踏みにじることになってしまう。そればかりか相手の望みを叶えなくしていることにもなる。
だからこそ、「自分がして貰えてうれしかったこと」は素直に受け取るべきだ。そして、今、自分ができる厚意を相手に示したらいいと思う。
それは、決して金銭や物品だけではない。「ありがとう」の言葉や手紙などでもいい。もっと言えばなにも言わずに祈るだけでもいい。
あなたが感じたままに感謝を表したらいいと思う。
恩は感じてもそれを振りかざして押し付けてはいけない
僕は今「フリー素材」として活用してもらっている。有り難いことに交通費や宿泊させてもらっている。そこで大事にしていることは「相手が望むことを望むタイミングでおこなう」だ。
だから、最初に「僕はあなたがしてもらいたいことを可能な限りします。なので、お手伝いが必要な時は言ってください。」と伝えている。
それは、こちらが良かれと思った行動が相手にとっては、「余計なお世話」になりかねないからだ。恩は感じても恩を押し付けてはいけない。
日本では「謙虚」が美徳とされている。だけども、それに縛られてしまうと「本当の自分」がなくなるときがある。
「本当はもっと欲張りたいのに、みんなに悪いから遠慮しておこう。」などと自分を殺してしまいがちになる。
そんなことで、息が詰まる思いをするくらいなら堂々と欲張って生きて行きたい。受け取るも与えるもなんの抵抗もなくおこなっていきたいと思う。
最後に支援をお願いします
全国をご縁で飛び回っています。それが世界にまでになりました。
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そうなのか!単純な僕は直ぐにその話に乗ってみました。
今回の旅は全て人の縁があって生まれた旅。
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どうせやるなら楽しんでやろう!
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