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日本スタンダードは、無意識に日本人の感性を鈍らせる

人は無意識のままに「このままダメはだめだ。」「もっと努力しないと。」とういう感覚に襲われることがある。不足感からくるその努力型思考はさらに不足感を生むことになり、ずっと満ち足りない感覚になってしまう。

だから、巷にあふれる安易な自己啓発に心を踊らさせたり、セミナー参加を繰り返しおこなってしまう。もっと、知識を。もっと技術を。もっと、もっと、もっと。

 

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意味もなく資格を持つことは無価値を証明する。

 

僕はサラリーマンを辞めて開業独立したときに、よく言われた言葉として、「資格があるから大丈夫。」「資格があるから凄い。」「資格がたくさんあるからなんでもできる。」などひねくれているかもしれないが「資格がある。」ことが精神的にきつかった。それは、「資格がない自分はなに価値がないのか。」と思うようになり精神的に追い込まれていった。

そんなときに、「自分はまだなにもない。もっと努力しないといけない。」と不足感を感じてしまった。そこから、それを補うために「セミナージプシー」と化して様うようにもっと、もっとと目的もなくセミナーに通った。

 

しかし、そんな状態がいつまでも持つわけがなく幸か不幸かまず「お金」が底をついてセミナーに行けなくなった。最初は不安に襲われたが、どうしょうもない状態だったため諦めるしかなかった。

そんなときに救われたのが、人の優しさだった。なにもないと思っていた僕に「元気している?」「なにかあるまえに相談しろよ」「一緒になにかしてみようか。」と声をかけてくれる人がいた。この言葉で救われた気がした。そして、はじめて気づかされた「資格がなくても大丈夫なんだ。今のままでも受け入れてくれる人がいるんだ」

 

自分は満たされているのだから、他者にもおすそ分けしよう。

 

 多くの方は五体満足で生まれてくる。それだけで本当は幸せなことなのにも関わらず欲み駆り立てられて新しい知識や技術を手に入れようとする。それが目的のある行動ならその欲は人を成長させると思う。

目的とは「自分が満たされたことを知ったうえでの、他者を幸せにする欲求のこと。」だと思う。自分が幸せでない状態では、他者は幸せにできない。

それは、プールの水が足首位の水位で水も足せれない状態で放水されているとなくなるイメージをもってもらえるとわかりやすい。逆も同じで水がたまり過ぎると溢れるし、そのまま水を貯めた状態では水は腐っていく。

それと同じように自分に不足感がある状態で他者ばかりに幸せを与え続けても、その幸せはいつか枯渇してなくなってしまう。だから、まず自分が幸せに満たされていることを知ることが大切である。

 

当たり前のことは当たり前ではないことに気づけ。

 

 いつのまにか当たり前のことが当たり前すぎて、感謝できなくなっていると思う。だから、それに意識が向かなくて不足感に襲われていると思う。

歩けることも、手が動くことも、ご飯が食べられることも、雨風がしのげる家に住むことも、好きな服を買うこともできるのもどこか「当たり前」だと思い込んでいるから有難味が沸いてきづらいと思う。

僕は病院で働いたことがあるから、四肢が不自由な人も見たことがあったり、お金がなくて蛇口を捻っても水がでなかった経験もある。その不足感の経験から「当たり前のことに有り難さ」を感じれるようになった。

 

日本スタンダードは、無意識に日本人の感性を鈍らせる

 

 そうは言ってもいきなり不足感を感じることは難しいことである。だけども、自分が幸せであることに気づくためには「当たり前のことと思っていることを当たり前でないと思え」が手っ取り早い話である。

特に日本にいると整備されすぎて全てが当たり前のように思える。だから、是非外国に行って価値観を見直して欲しいと思う。今の時代格安航空券があるおかげで国内移動よりも安く行ける。これも、価値観の見直しになる。

話はそれたが、例えば、「水」に関することは外国に行くと「買う」のが一般的である。日本なら蛇口を捻れば水が止まること出てきたり、賛否はあるが飲んでもすぐに病気になったりしない。

それが、インフラ整備が行き届いていないとこだと蛇口から水は出てこないし「安全な水」は「買う」ことが当たり前である。トイレも日本は街でも無料でどこにでも「トイレ」がある。海外に行けばお店にトイレがなかったり、チップを支払って使用したりもする。

海外に出ると、日本の当たり前のことが当たり前ではないことにいろいろ気づかされる。

 

最後に

 

 僕は人の優しさに触れることで「自分」を取り戻すことができたと思う。もし、同じように悩んでいる人がいるなら自分から声をあげて欲しい。あなたの「声」を待っている人は必ずこの地球にいます。そして、周りに「声」をあげたくてもあげれない人に、「元気してる?」と声をかけて欲しい。それだけで、僕は救われたから。僕もこれからも「自分」を見失っている人に「声」をかけていきたいと思う。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。