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「肩書」をなくした「自分自身」になったときに本当の「自由」がある。

フリーランスって、本当に「自由」なのか?

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フリーランスの起源

英語「freelance」の由来は、中世にまで遡る。
その時代、王さまや貴族は戦争の度に傭兵と契約して戦争に臨んだのだという。
傭兵はグループごとに分かれて行動していた。
槍騎兵 (lancer) が自分の従卒として歩兵や弓兵を連れている形が多かったらしい。
そのため契約の際には槍の本数=1戦闘単位としてカウントされたのだ。
そのような契約形態から、敵勢力と契約を交わしていない(free 自由)戦闘単位 (lance 槍) を指す言葉として「freelance」が生まれたのだ。
近世以降フリーランスは、組織を離れて働く状態を指す言葉に変化する 

なるほど。

「敵勢力と契約を交わしていない(free 自由)戦闘単位 (lance 槍) を指す言葉として「freelance」が生まれた。」

とういうことは「誰か(味方)」と契約を結んでいることになるね。

 

(現在の)フリーランスの意味 

 フリーランス(英: freelance)は、特定の企業や団体、組織に専従しておらず、自らの才覚や技能を提供することにより社会的に独立した個人事業主もしくは個人企業法人である。 略してフリーと呼ばれる。 企業から請け負った業務を実際に遂行する本人をフリーランサーと呼ぶ。

 なるほど。

企業から請け負った業務を実際に遂行する」

とういうことは個人で契約して仕事をしているんだね。

 

うん?個人で契約しているって、全然「フリー」≒「自由」じゃない!

なにかしらの「契約」を得て個人で行動しているならそれを本当に「自由」っていえるのか。「契約」がある以上なにかしらの「制限」が生まれると思う。

 

本当の自由は「お金」「時間」「場所」「人」から開放された状態ではないのか?

 

 

フリーランス」を責めているわけではなく、それを名乗っている人が「自由」ではないことに疑問視した。

 

僕の勝手な「フリーランス」のイメージは「全てを自由自在にデザインしている。」だった。ただ、現実は全く違って、作業時間もサラリーマンと変わらなかったり、個人でやっているから「責任」が追加される。「責任」があるぶんフリーランスは大変にさえ思ってしまう。

 

そうすると「あれっ?全然違うじゃん!フリーじゃない!」と思うようになった。

 

そこで、共感できるblogを添付したから見て欲しい。

 

www.lifehacker.jp

 

「肩書」をなくした「自分自身」になったときに本当の「自由」がある。

 

僕が思うに「フリーランス」とういう言葉をなんとなく使っている方が多いように思う。そこに「自由」が強化されてより一層「かっこいいイメージ」ができあがってしまったのではないか。

 

フリーランスでも、例えば主の収入源や活動を堂々と名乗ればいい。

「ブロガーです。」「整体師です。」「コンサルタントです。」

とかですね。

 

それが「肩書」なのに「フリーで〇〇してます。」だから「フリーランス」みたいな流れで名乗る人が多いような気がする。僕も一時期そうだったからなんとくなく気持ちがわかる。

 

もっと言えば「肩書」は確かにあったらわかりやすい。

「あっ、この人が得意なことは〇〇なんだな。」

それは相手にとっては親切な自己紹介になる。

 

でも、それは「肩書」にしか過ぎないことを覚えておかないといけない。

大切のは「肩書がない自分自身」である。

 

それは、例えばお店を選ぶポイントに「あの人がいるから行きたい」「スタッフの対応が最高だから行きたい」など「人で選ぶ」ことが多いと思う。

 

そう、それは「肩書」なんて全く関係ない「人間力」で選択しているとも言える。

 

そう考えると、「究極なにもなくても、なにもしなくても「人間力」だけで生きていけるのかもしれない。「存在していることだけで、生きていける。」ときが本当の「フリー」なのかもしれない。

 

自分を生きるために「フリー素材」として使われたい

「 本当の自由とはなにか。」「本当の自分とはなにか。」そんなことを知りたくて、そして「自分を生きたい」からはじめたのが「フリー素材≒フリートミー」を活用してもらうことだ。必要な人に届いたらと思います。

 

selfcare88.hatenablog.com

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。