【罪悪感】を捨てるために、【なにもしない】を選ぶ
なにもしないことに【罪悪感】をもたない
役に立とうとする【罪悪感】を捨てる
その【罪悪感】がなくなるときに本当の自分に戻れる。
本当の自分は、【いるだけでいい】。
それがあったうえで、【やりたいこと】を提供していきたい。
【思考で考える】や【他人から盗む】ものではなく、【自分の中から湧き上がるもの】こそに本当の価値があると思う。
だから、【罪悪感】を捨てることを体感するために、一日中ゴロゴロしてました(笑)
溢れ出した気持ちをgiftしたい
世界を信頼することが委ねることになる。世界を信じれるから待つことができる。
それとは反対に世界を信じれるないときは、【なにかしなきゃいけない】となってしまい、そこに本当の気持ちがなくなってしまう。
本当の気持ちとは、【溢れ出す】ことであってそれは、【したい】になる。
それは、どんなことでもいいはずだけども、思考で行動してしまうときは【見えるもの】を優先してしまう。
見えるものとは、お金や物品であることが多い。
しかし、世の中には目に見えないものが多い。空気、重力、電波、紫外線、電子などがそれにあたる。
空気がないと生きていけないように、実はこれこそが本当に大切なものであったりする。
そう、目に見えないものこそ意識をすることが大切だ。
【溢れ出す】ものはなんでもいいはずだ。それは人それぞれ得意なことがあってそれを提供できるときに、きっと感動が生まれると思う。
当たり前のことにこそ丁寧にしたい
全ては意識次第。
例えば、wifiのように目に見えない電波を使ってコミニュケーションをするのは、当たり前になる。
例えば、テレパシーのように目に見えないものを使ってコミニュケーションをするとそれはできないとなる。
その違いはただそれが『ある』『ない』と前提問題だけ。
だから、
楽しいと思えば楽しくなる。
悲しいと思えば悲しくなる。
それは、当たり前のことだけども、当たり前だから意識を向けるのが難しい。
つまりは、日々の生活をどれだけ意識できるかが大切になる。
当たり前のことにこそ意識を向けて生きていきたい。
テクノロジーとの共存
wifi、ネットは目に見えないのに、それを使うと当たり前に意思疎通を図れると思い込んでいる。
それが、テレパシーになると、『怪しい』となってましう。
どちらも同じ『目に見えないもの』なのに、違いが生まれる。
それは、ただ個人の意識だけで違うと思う。その意識は日常でかえることができる。ただ、丁寧に過去や未来に意識を飛ばすことをせずに、今に意識を向けることができるかだけだ。
いわゆるテレポーテーションは、ありえないと思いこんでいる。その思い込みは無意識たから意識を飛ばすことができずに雑になってしまう。
日常の中でどれだけ、意識を向けることができるか。当たり前と思うことまでも、今後は当たり前のことも意識を向けることが大切になる。
不器用さこそが可愛いんだ
僕は不器用です
自分で言うのも変な話だが何度もここで書いてあるように、僕は真面目な人間だ。だから、なんでも器用にこなしてしまうイメージが勝手にできてしまっている。
はじめて会う人によく指摘されるのが、「えっ?ひょっとして不器用ですか?」と問われる。
子どもの頃から細かい作業をするのが苦手で、運動バカとして育ったから僕の土台は絵に描いたような「不器用」である。
「不器用」があっても、頼まれたことは「なんとかやってみたい。」と思う性分で一度はチャレンジしてみる。やはりというか「不器用」であるから「うまくできない」ことが多い。自分ではうまくできたと思っても、相手が望む状態とかけ離れていることもしばしある。断っておくが別に悪気があってそうしているのではなくただの「不器用」なだけである。
続きを読む本当の気持ちも言えない100人の仲間より本当の気持ちを言える1人の仲間といたい。
頭を使って喋ると相手に伝わらない
人に思いを伝えるときにどうしても「うまく」伝えようとするときがある。頭の中でシュミレーションして相手になるべくわかりやすく伝えようと一生懸命に思考を巡らせる。
そして、最初にでる言葉が「目的」ではなく「理論」から入ってしまう。
それを聞いている側は「それで、なにが言いたいの?」となってしまう。
つまりは、相手に「うまいこと」伝えようとすればするほど実は気持ちが入らずに伝わってしまうことが多い。
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