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自分マニュアル≒固定概念に縛られた自分

前回の続きのような記事になるが、「マニュアル対応からみた縛られた過去の自分」が見えたのでそれについて書きたいと思う。

 

selfcare88.hatenablog.com

 

僕がチケット購入をミスしたため、再度購入が必要になったときである。

「本日は座席が30席空いているので差額を支払って頂けるとチケットを購入できます。」

最初の対応で30席も席が空いていた。僕も全額である34800円を支払うと言っている。だが、お金を下してもう一度手続きをしたところをキャンセル料7000円を要求された。もちろん、僕は納得いかないため、最初の対応でお願いをしたが無駄に終わった。

 

相手の主張は「当社の規定によりできません。」だ。確かに僕だけを特別扱いするのはよくないことかもしれないが、今回のケースだと30席もの空席があるのにも「マニュアル」対応によって、みすみす損失をそのままにしてしまったことになる。

 

僕の主張は、「全額を負担します。」と伝えているわけで、相手側にしてみると30席の空席のままならその分だけ利益がないのは当たり前で、そのうち1席でも購入して貰えたらその分利益が生まれるのだから乗せたのがよくないですか?とういうものだ。(もし、人一人乗ると燃料代がその2倍以上になるなら、ごめんない!)

 

多くの方はただのクレーマーに見えてしまうでしょう。僕はクレームを言いたいわけでもなく、ただ、単純に「もったいなくねぇ?」って問たかったんです。

 

今回のケースのように日常でも「自分のマニュアル」≒「固定概念」に縛られて融通が利かなくて後悔してしまうこともしばしばある。それが、「こうしなきゃ」「こうあるべきだ」とういう言葉にある。

 

自分マニュアル≒固定概念に縛られた過去の自分

 

思考がガチガチだったころの自分も使っていた。その時を思い出すと相手の意見を受け入れる隙がなかった。いや、相手を受け付けないように外を固めてガードしまっくていた。自分に自信がなかったから、相手から求められると怖くてしょうがなかった。だから、愚直に自分が子どものころに教育された世界が全てだと信じてそれを守りぬいてきた。

それを信じるのが安全だし楽だったから。結局は、そこから動くのがただ怖かっただけ。そこから出ないように、そしてその安全の領域に誰も侵入させないように壁を作っていた。

 

そこにあるのは狭い世界であって、外界から閉ざした世界であるから、可能性なんてないにも等しい。世の中には「チャンス」とういうのはいつなんどきで現れるかわからないのにそれさえも無視していた。そう、自分を信じてないばかりに「無限の可能性」を棒に振っていた。

 

今、考えると本当にもったいないと思う。だからこそ、まずは自信をもちたい。

自信は「自分を信じる」と書く。

そう、まずは自分を信じよう。かっこわるくても、おっちょこちょいでも、勉強できなくても、それでも僕は笑うことも、泣くことも、叫ぶこともできる。

その一部なネガティブな部分に目をむけるのではなく、それも自分の一部と受け止めてあげたい。それ以外に必ず「あなたしかないもの」があるのだから。

 

そして、自分に自信を持って勇気をだして壁を壊して外の世界と交わっていこう。そこには「無限の可能性」があるのだから。

 

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弱い自分は他人から浴びせられた言葉を信じるしかなかった

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そこでよく「あなたは本音を言えていない。」「今、言った言葉はウソだ。」「(なにも感じませんと言うと)まだ扉を閉ざしています。」「感情は心(肚)からでるものだ。」などという言葉をよく浴びさせられた。

確かにそうだなと思うこともあったが、それが全て当てはまるとも思えない。でも、当時の僕は救いを求めるような人間だったため、そう言われると信じずにはいられなかった。

 

他人の言葉で生きるのはコピー人間

 

僕に浴びさせられた言葉通りにしてしまうということは、それはその人のコピーになってしまうと思う。それは、その人から見た「自分」になっているので、それは本当の「自分」とは違うはずだ。その人がどんな経験をしていようが、どんなに名声を得ていようが関係ないはずだ。

隣にいる人や道行く人の気持ちだったり、考えていることがわかるはずがないのと同じで、所詮、僕らは「他人」のことなんて理解できない。逆を言えば「自分」のことは「自分」にしかわからない。

それなのに、人は他人と比べては、自分より「人気」「お金」「地位」「能力」があると思う人の言うことを鵜呑みにしてしまう傾向が強いと感じる。それは凄く危険なことだが、もしも、自分が大好きなことでやっているのではあればそれはそれでもいいかとも思ってしまう。結局のところは信じる者は救われるのかもしれない。

 

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自分を捨ててまで不特定多数に好かれるよりも、自分を受け入れてくれる一人を愛したい

俺は真面目だ!

僕は「真面目だね。」と言われることが多い。それは生まれた環境が関わっているためなのか。それとももともとなのかだとは思っている。それが僕にとっては「コンプレックス」になっていた。

 

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不真面目になりたかった

 

「真面目」のイメージは「固い」「冷静」「緊張」などどちらかといえば「人を寄せ付けない」とういう感じを持つ。

それとは反対にある「不真面目さ」には「華やかなさ」があると思う。この言葉が適切かはわからないが、そのような人は「人を笑わすことが得意」や「その場の雰囲気を柔らかく明るくする」そんな魅力があると思う。「不真面目」には、いい意味での「抜け感」があってそれも合わさって人が近づきやすいように思える。

 

真面目な僕にとっては「華やかさ」がうらやましかった。

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おもろく生きていこう!一人では無理でも仲間がいるから叶うんだよ!

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 夢なんて口に出すことからスタートする。

とんでもないことも、とにかく伝えてみる。

自分が叶える気持ちの純度が高いと絶対に誰かが聞いている。

純度が高いって、誰になんと言われようが『やりたいんだ!』と伝えれるもの。

 

僕はそんな人を応援したい。

一人では無理でも仲間がいるから叶えられる。

メッセージ待ってます。

 

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