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宇宙 心 体 人 いろいろなものを[Connect]≒[つなげる]。

当たり前のことを大切にする

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『感謝しましょう』


よく使われる言葉。

では、感謝ってなんでしょうか。

言葉で「ありがとうございます。」
これも感謝。

握手して頭を下げる
これも感謝。

物品で感謝の気持ちを表す
これも感謝。

いろいろあるけど、本気の感謝は
腹から声がでたり
溢れんばかりの笑顔だったり
涙が止まらなかったり

爆発した感情が伴うものじゃないかな。

もしも、僕がそうされたら感動して
逆に感謝してしまうな。

それから感謝は人だけにおこなうものではなく
家があること
体が健康であること
御飯が食べること
服があること
仕事ができていること
・・・
こんな日頃の当たり前のことこそ
感謝が必要と思う。

利便性やある程度の生活水準が
保証されている今の日本は
あって当然なことになってしまっている。

でも、水が飲めないや
空気が汚れていてマスクが必要だったり、
家もない人も存在している。

世の中には当たり前のことが
当たり前ではないことも
存在してることをわかっていることも必要。

それがわかってくると
日常が奇跡の連続のように
楽しくなる。

半年後の目標だったり、
長期ビジョンも必要とは思う。

だけども、一瞬、一瞬に
どれだけ感動することが
もっと大切に感じる。

 

「あ~今日も無事に布団で寝れる。」
(ありがとうございます。)


今日も読んでいただきありがとうございます^ ^

休むことも大切

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ヒトはずっと動くことはできない。

動物もずっと動くことはできない。

車もずっと動くことはできない。

船もずっと動くことはできない。

テレビもずっと使うことはできない。

家も人が住まないとずっと使うことができない

箸もずっと使うことはできない。

そう、生物も物も手直しや休憩が必要。

休みをいれないと壊れてしまいます。

休みたいと思う時は休もう。

だって、それはサインだから。

今日も読んでいただきありがとうございます。

一番強いの『最弱』だ!

弱さが進化を生む

弱さを見せることは当然のように恐怖がつきまとう。自然界でも弱いものは強いものに負けてしまう。しかし、弱いものはそのままやられ続けると絶滅してしまうから、「進化」することで種を残してきた。

そして人こそ「最弱生物が進化した個体」なることを聞いたことがある。

海のなかに誕生してから、ある生物は外敵から身を守るために「甲羅」など外を固めたのに対して、人間の祖にあたる魚は内に「骨」を作った。そこから、住処を求めて陸にあがり、さらに森へと移していった。そこで、森から追われたものが二足歩行をはじめ現在のヒトへとなった。

ざっくりであるけれども、こんな話を聞いたことがある。まさに「負けの連鎖」が「進化を促した結果」になる。

 

今の教育のスローガンは「ちゃんと」「こうあるべきだ」「きちんと」

 

今、巷では「自分生きブーム」があると感じている。「自分とはなにか?」「自分らしく生きるとは?」みたいな言葉を見たり、そのような悩みを持った人が多いように思われる。

恐れを持たずに言うなら今までの「教育の在り方」に疑問をもつ人が増えて限界点に達しているのではないかと思う。

今までの「教育」は集団行動が美徳され、大人が子供に制限を植え付けることで「立派な大人」に育てることが教育だったように思える。立派な大人とは、「学校の成績≒テストの点数のみ100点」がとれて、「みんなと同じような価値観を持つ」のような子が成長して大人になることだと思う。

その教育のなかにあるスローガンは「ちゃんと」「こうあるべき」「きちんと」だ。だから、日本人はどの民族よりも時間厳守、自分のことよりも相手のことを優先させるようになったとさえ思う。

その全てを否定しているわけではなく、もちろん「個性」としてそれが「好き」でおこなっているならそれは素晴らしいことである。だけれども、みんながそれが「好き」でやっているわけでもなく、どこか無意識的に「決まり事」としておこなっていると思う。

 

「型」にはまった瞬間に「進化」が止まる

 

「個性」を発揮することが制限されてしまうと当然のように「得意」「不得意」はわからなくなる。

「得意」なことを能力として発揮できる社会ならすごく生きやすいとういうことは想像しやすいと思う。そして、「不得意」なことは誰かに補ってもらえばいい。

だけれども、今の社会では「得意」なことも「不得意」なことも発揮しづらく、「みんなが平等」と同じであることが当たり前にされてしまっている。

つまりは、同じ「型」にはまってしまっている。「型」にはまることは「進化」を止めてしまうことになるとう思う。

「弱い」から環境に適応して種を残すために「進化」してきた過程があるのにそれをやめてしまうことをしているように思える。「強さ」も「弱さ」も認めてしまえばいい。それを認めるから次に進める。

 

「進化」したいなら「危険」を選べ

 

「個性」を認めてそれを活かそうとしたときに次に「アイデア」が生まれると思う。そこではじめて「思考」が必要になると思う。

先に「思考」を使ってしまうとそれは「制限」につながることもある。自分のなかで育てられた「エゴ」が「安全」を選択しようとするからである。誰しも「安全」なとこからわざわざ命の危険にさらされることを選ばないと思う。そのために「エゴ」は危険から身を守るようにしているのかもしれない。いわゆる安全装置とも考えられる。

だけれども、進化の傍には自然界に存在している「弱肉強食」があるように常に命の危険があった。だから、危ないと思うような選択の先に「進化」があるかのかもしれない。僕は「進化」を選択したいから、あえて「危ないかもしれない選択」をしてみたいと思う。

 

最後に右脳の世界の話を知って欲しい。

 


My stroke of insight | Jill Bolte Taylor

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

誰もあなたからの恩なんか期待していない。だから、ちゃんと受け取ったら笑ってればいい。

受け取ることがとても苦手だった。

僕も未だに人のことを気になってしまう癖がでるときがある。それが一番出てしまうのが「人からしてもらえた有り難い厚意」の時だ。

相手のことを気にしているあまりに、「ちゃんとしなきゃ」「お礼はどうしたらいいだろうか」かと思うほどに感謝が中途半端になったり、後で後悔してしまうときもある。

だけども、気にしているのは本人だけであって、厚意を与えた側はなにも思っていないことが多い。それは、逆の立場になったとき、つまりは与える側に自分がなったときに見返りを求めていないことに気づくからだ。

困った人がいるとき、楽しいって思えるとき、恩返しをしたいと思ったときに、「これをしたから後できっとイイことがあるはず。」などと思わないはずだ。

それが受け取る側になったときにどうしても「悪いことをした」「気を使わせた」などと心が動揺してしまうことがある。

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恥は奇跡を生む魔法の種

出来ないことを恥じて得意でもないことを一生懸命なんとかして、できるようになろうと努力する。もともと苦手なことだったりするからそれは時間だけを浪費してしまうことが多い。

僕もホームページを作ろうとしてみたところ、全くできずに1週間粘った末に知人にお金をだして作ってもらったことがある。

そんなことなら早く頼めばよかったと後悔してしまったことがあった。

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目標を立てることは自分の限界を宣言していることになる。

目標を立てることは自分の限界を宣言していることになる。

 

4月に入り新しいスタートを切った人もたくさんいると思う。新しいスタートを切る時に「目標」を立てると人も多いのではないかと思う。

「今年は〇〇するぞ!」

「売り上げ目標10倍!」

「月の売り上げ目標100万円!」

こういう目標を立てて闘志を燃やしていると思います。

それに囚われると結果として「限界」を設定していることになると思われる。

「目標」を強く持ちすぎることは意識的にそれに沿った「行動」をとってしまうから、その目標以上の結果を生むことは難しい。

つまりは、「月商100万円」に意識しすぎるとそれにしか達しない行動をとってしまうからそれ以下はあってもそれ以上はなくなる。

それは、まさに自分の「今」の能力はそこまでしかないと宣言しているのと同じだと思われる。

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日本スタンダードは、無意識に日本人の感性を鈍らせる

人は無意識のままに「このままダメはだめだ。」「もっと努力しないと。」とういう感覚に襲われることがある。不足感からくるその努力型思考はさらに不足感を生むことになり、ずっと満ち足りない感覚になってしまう。

だから、巷にあふれる安易な自己啓発に心を踊らさせたり、セミナー参加を繰り返しおこなってしまう。もっと、知識を。もっと技術を。もっと、もっと、もっと。

 

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